[はてな夢日記]

 私は祈祷武術の使い手の家に生まれた。
 まだ中学生だからつるつるの手足で、ちょうど戸田恵梨香がそうであるように薄っぺらい体型をしているのだけど、長女であるがゆえに私には祈祷武術の使い手となる宿命が覆い被さってきていて、そのうえ当主たる父ちゃんが家族を残して水平線の向こうに姿を消してしまったせいで、私と弟の二人は父ちゃんのぶんまで力を手に入れなければならなかった。父ちゃんが抜けてしまった分の我が流派の力の総量を二人で分担して補えとでも言わんばかりに、母ちゃんの修業は日夜拷問めいていた。

 ……というのも今は昔で、私も弟も今では祈祷武術とはまったく関係のない世界で生きている。逃げるようにして家から飛び出し、家の外に落ち着ける場所を作り出し、家にはいられない理由を丁稚あげることに成功したのだった。一族の宿命は重いが、しかしよろずに疲弊しきっていて、否応がないというほどの拘束力は喪われて久しかった。

 しかしそれでも祈祷武術の担い手として生を受けた私は……というかたぶん弟もそうなんだけど、感受性の強い思春期の月日をそのことに専念させられてきたが故にその理念をベースとして物を考えるようにできていて、なのでそこから離れて世の中のことを見つめるのは難しかった。もし自分たちの過去を無理やりに拒んだりすれば、物の考え方や信念・価値観の核となるものを手放すことにもつながるので、最悪統合失調症のような状態に陥ってしまうのではないだろうか。今はテレビの世界にいて、子ども向け番組のリポーターをやったり子役としてドラマに出たりでそれなりに充実しているのだけど、それでも私は祈祷武術の使い手の家に生まれた人間でしかあり得なかった。

 ある日、土間でやった稽古のことを思い出す。
 弟はなかなかやる男で、母ちゃんが足元を狙って振り回した鎖ガマを跳躍によって易々と回避したばかりか、続く二閃三閃を紙一重のスウェーで避けて、返す刀で直上からきた一閃を、相手に背を向けたまま白刃取りでキャッチ。そのまま捻るように両腕を返して、母ちゃんの腕から獲物をもぎとってしまう。
 すげー、ぱちぱちぱち。座敷で床にふせっていた爺ちゃんも、思わず身を乗り出してぱちぱちぱちぱち。
「次はあんたの番よ」と母ちゃん。いややぁ、やりたくない。私は暴力が嫌いだし鈍くさいので大した使い手になれるとも思えないんだけど、長女は私なので母ちゃんは私をなんとしてでも一流の使い手にするつもりでいて、それはもう意地でもということになっているらしいのだった。素材のポテンシャルをちゃんと見極めてくれないと、素材的にも困るねんけど……。
 私たちが稽古で使う模擬刀は現物が正確にシミュレートされているから振り心地も手触りも本物と同じなのだけど、使い手がそれを意図しない限り、けして当たった物が切れたり人を傷つけたりすることはない。使用者の殺意を汲み取って刃をなすという祈祷武術ならではの模擬刀で、家族どうしで切りあったりしている限りは、まさか自分の家族に対して殺意を持ってる人なんているはずないし、怪我人が出ることはない。
 だから油断したというわけじゃないんだけど、私は母ちゃんが振り回してきた日本刀タイプの模擬刀をまともにその身に受けてしまった。身のこなしが悪いわけでは、ないと思う。柱に追い詰められたりして逃げ場を失い、真剣だったら致命傷になっていたであろうところのクリーンヒットを、ついつい浴びてしまったのだった。がすりッ、もう助からん。
 あー、どうせ無理やわ。もう降りたい。
「ごめんね母ちゃん、うちは出来損ないやから」
 つい漏らしてしまったこの言葉は、しかし、母ちゃんをいきり立たせるばかりであった。こともあろうに、扇を口元でくるくるさせながら母ちゃんは祈祷を開始。するとたちまち、扇と母ちゃんとの隙間にできた空間のひずみから数えきれないほどの巨大な蛾が躍り出て、私に向かって飛来しはじめた。蛾どもは羽を動かし、毒のリンプンで辺りを曇らせながら私の口の中へと飛び込もうとする。
(きもちわるい、きもちわるい)
 固く口を閉じたその上から、幾重にも蛾がまとわりついてくる。唇をこじあけて力ずくで潜り込んでくる、というか、今ちょっと食べてしまった。あわてて吐き出そうとしたが間に合わず、舌の上に取り残された櫛状の触覚が口腔の感覚を奪ってゆく。蛾の毒と気色わるいのとで意識がほのかに遠のきかける中、
(あんた、祈祷なさいな)
 母ちゃんからのインナーボイス。窮地から始まるガイダンスだ。
(まずは、鶴を降らせなさい)
 言われるがままに、鶴の姿をイメージ。すると辺りは闇に包まれ、天井から鶴の足が無数に生え注いできてがすりがすりストンピング。節くれだった長い足によって、巨大な蛾どもは、次々と小気味よく体液をまき散らしながら踏み潰されて死んでいった。しかしそれでも潰しきれないほどに蛾は出現し続けていて、飛び散った体液であたりは臭いし毒だし汚いし、家の中は本当にもうめちゃくちゃだ。
(ほら数が減ったやろ、今のうちや。大政奉還のときの、やんごとなきご真影を重ねなさい)
 そうは言うけど集中できない。蛾が、蛾が口に、唇に、大政奉還……大政奉還
 ”重ね”に使うイコンは、日ごろから教本で学び取っておいたものだ。セピア色のやんごとなき方々の集合写真をできるだけくっきりとイメージし、視覚からくるオプティックな像と脳内でぴったり重ねあわせていく。鶴の足が黄色いスコールのように降り注いでいるその隙間を縫って、化けもんみたいな蛾がひらりひらり。迫り来るそいつらや飛び散ったそいつらの体液を丸ごと覆ってしまうような感覚で、ご真影の透明度を下げ、視覚的な濃度を高めていく。重ねることで、洗い流す。洋装に身を固めた白っぽい真影が、現前しているものをその謎めいた能面のような表情へと溶けあわせていく。蛾どもは存在した痕跡ごと洗い流され、イコンが一たび満ち引きをすると、そこにもはや蛾の姿はない。
「やったやないの」
 母ちゃんは言った。
 私はただもうほっとするばかりで、褒められて嬉しいどころではなくて、そのときの充実した安らぎを胸に今日もマイクを手に取っているわけなんだけど、目の前にはカメラさん、やや距離をおいて群衆が周りを取り巻いていて私に声援を飛ばしている。私の背後には青空を貫いて立つ赤と白の鉄筋。落成したばかりの東京タワーが堂々とそびえ立っているのだった。
 私は東京タワーをリポートする……私はアイドル。手足のすらっとした美少女アイドル。今は背中からタワーが生えている感じで映っているんだけど、ちょっと左にずれて右手を伸ばすとその手のひらがちょうどタワーと重なるようにフレームに収められる。
「みなさん見てますか〜タワーです、タワーですよ! すごい! 赤と白の鉄骨! 東京の、タワーですよみなさん! すごい! そびえ立っている!」
 リポートしまくりながら、伸ばしたまんまの右手めがけて、TheWHOのギタリストであるピート・タウンゼントみたいに左手をぐるぐる大回転。全国中継のテレビの中で、私の左手はギュイーンギュイィンと東京タワーの真上をよぎる。ぐるぐるぐる、みんな見てて、タワーですよ!

…という夢を見た。

 見ましたよ、フロイト先生!