さらば愛しきカトマンドゥ 〜赤痢とともに去りぬ


ジャナクプルからカトマンドゥに戻り、残りわずかなネパールの滞在時間をゆったりと満喫する。ネパール編の最終回です。
これまでのネパール旅行記は、こちらで。

6/3

空港近くの変なところでバスを降ろされてしまったので、チャレンジ精神を発揮してジッチョンまで歩いて行こうとしたのだが途中で迷子になった。最後まで波乱万丈。

Century Lodge


ヒッピー文化の残り香が漂う、エキゾチックなジッチョンのゲストハウス。チェックインしてバックパックを降ろしたら、それ自体が世界遺産みたいなホテルの内部を散策します。

エントランス付近。


全館に渡るアトリウムからの採光が渋い渋い。
ぬるま湯のシャワーを浴びて、ジャナクプルがあれだったせいで二日間流すことのできなかったベッタベタの汗を落とします。そうして、タオルを干すべくして屋上に上がる。

屋上からの眺め。ついでに風に当たってみることにする。


所狭しと並んだケイジで、大量の鳥が飼育されていた。

風が暖かくて、気持ちよかったなぁ。

巻きタバコをスパスパ吹かしたり思想書を読んだりして、のんびりとした贅沢な時間を過ごした。200ルピーで泊まれたんだけど、極楽ですよ。まさか二日後に、ここで生死の境をさまようことになろうとは…。
夜は蚊取り線香が大活躍だったり、ゴキブリと追いかけっこをしたり。それを差っ引いてもお気に入りのホテル。

ダルバール広場〜インドラチョーク周辺


異臭を放ちはじめた洗濯物をクリーニング屋に預けた後、あんまりヒマだったので街に出てみることにした。




ジーンズだと暑くてかなわなかったので、インドラチョークあたりの服屋さんでダサい外人がよくはいてるようなバミューダパンツを購入。100ルピー。
なぜかネパールにいる間、服が欲しくてたまらなかった。異文化に触発されたのかな? とにかく物価が10分の1くらいで安かったので、もっとジャンジャン買い込めばよかったなーと今になって後悔してる。店員のお姉さんがなんかモジモジしていたので、「Good city」と呟き、商品を受け取って笑顔でお別れ。

ヒンドゥー教の小さなお寺があったので、ジャナクプルで覚えた作法を元にお祈りしてみる。靴を脱いで、一段高くなっているところの地面を指で拭い、その指を焼香みたいに額のところまで持っていく。

そうして鐘を鳴らし、聖像のところまで歩み出て赤い染料で眉間にポッチをつける。見よう見まねで始めたことだけど、二日も続けていればすっかり慣れきってしまっています。

しつこい物乞いの少年1


タメルで遭遇した絵売りの少年二人組。色鉛筆やマーカーなどで描かれた自作のヘボい絵を押しつけ、その対価としてルピーを寄越せと言ってくる。絡まれるのは何度目かで、こっちの顔は覚えられてしまっています。
絵一枚で350ルピー相当の食糧を寄越せみたいなことを言ってたかな、ジャナクプルのミティラー絵画よりも高くて、呆れさせられた。
俺はその2人を適当にあしらいながらも付いて来させることにした。最終的には100ルピーくらいの食べ物を与えてやるつもりにはなっていて、なぜなら、彼らにどうしても伝えたいことができたからだ。コラージュを使った作品にはセンスを感じさせるものもあったりして、しかし彼らは冷やかされていると考えたらしく、途中で帰ってしまったのでそのどうしても伝えたかったことは伝えられずに終わった。

しつこい物乞いの少年2


夜のダルバール広場をうろついていたら、しつこい物乞いに絡まれてしまった。服とかもうボロボロで、施しがなければ一週間後くらいには死んでしまいそうな外見の子ども。
この頃には物乞いに対するスタンスも固まってきており、物乞いという行為自体を全否定するような態度をとることにしていた。怖い顔で威嚇したり、エア殴る蹴るの身振りでビビらせたりと、物乞いはけしてプラスの結果を生みはしないということを刷り込もうとした。でもそれが正しいことだったのかは自分でも全く自信が湧かなくて、このまま施しがなければまず死んじゃうわけで。悲しくて腹立たしくて、相手も自分も好きになれない感じで、むちゃくちゃ嫌な気分だった。そんな気分になるくらいなら、恵んであげるのが正解だったと思う。

6/4

どうも人が死んだらしく、ゲストハウスを出てすぐのところに人だかりができていた。
泣き女たちがめそめそと声をあげる中、男たちが老人の亡骸を担架に乗せて運んでいく。その様子を寝ぼけ眼で呆然と見送った。

チェトラパティ・チョークのレンタサイクルで自転車をゲットし、まだ回っていなかったカトマンドゥ近郊の名所を巡ることに。煤煙や牛やリクシャーに満ち溢れたカオスでデンジャーな街路を、地図を片手によゆうで自転車こいで回れるくらいにはいつの間にか慣れてた。

バラジュー庭園


タメルから30分で行ける市民憩いの場。少なくともこの場所には、カトマンドゥ的な喧騒は皆無。

王族の彫像に落書きがされていて、楽しい。

水浴びをする人たち。

建立中のヘボい仏像



スワヤンブナートの裏手で建造中の仏像。塗りが安っぽいです。

イミテーションっぽいストゥーパ。これもまた、ベカベカした塗り。
その横手にあったカフェでコーラとスイーツを摂取。国立博物館への道を聞いたら、お姉さんたち知らなかったみたい。「地元の人は、意外と観光スポットを知らない」の法則。

ネパール国立博物館

ここは、仏教美術のファンのみならず美術ファン必見。すさまじきネワール美術の端緒にふれることができます。
軍事系の展示も豊富にあって、王族が実際に装備していたかっこいい軍服やククリ刀などが見れるよ! 別料金を払えばカメラの持込みも可。パタン美術館のところにも書いたけど、興奮のしすぎで鼻息を荒くしてた。図録置いてなかったことがとても残念に思える。本当に本当によかったです。

パタン動物園


クオリティの高すぎる顔ハメ。
adult Rs.35 と書いてあったので35ルピーを差し出して入ろうとすると、ノーノーと止められてしまう。よく見たら、下のほうにforeigner Rs.135って書いてあった。
”ヤ、ヤ。Foreigner foreigner...”
グチグチ言いながらもポンと紙幣を放り出す。

園内をゾウに乗って回ることができるらしい。

きれいな鳥、名前を知りたい。香港の映画スターみたいなファッションのネパール青年が携帯で激写中だった。エクスキューズミーとか言ってこっちに気を遣ってくれて、すごく感じがよかった。

あと、ここに着いたあたりで買ったばかりのバミューダパンツの股が破けました。理不尽だが、全てを受け入れて生きていくしかない。

パタン


ダルバール広場を通り抜けてカトマンドゥに戻ろうとしたらなんか山車が出ていて、人がいっぱいで通れない。

なんだろう、すごくいい感じだった。


固有名詞もバックグランドもわからないまま体験を体験としてそのまま受け入れる…といったことがここんところずっと続いてる。頭がフルで稼動しっぱなしで、心がイキイキしています。

人の波をかき分けてダルバール広場に入り、地元の人しか入ってないような大衆居酒屋でウォーを食べました。そしたら隣にいた男性が、昔東京で働いてたとかいって怪しい日本語で話しかけてきた。またこのパターンか…と思って冷たくあしらってたら、でも、この人は別段詐欺を働こうという人ではなかったみたいで、悪いことをしてしまった。
ウォーというのはネパール風のお好み焼きで、小麦粉に卵黄をまぜてシンプルに焼き上げたもの。それをミリンダ*1と一緒いただいたら、かなりの満足感。
広場を出ようとすると、「ニイハオ」と子供から声をかけられた。そういえば前回来たときにこの辺りでニイハオとかアニョハセヨーなどと言いまくってたので、それをちゃんと覚えていたのかもしれない。偉いぞ少年、ゴメンな少年…。

自転車のトラブル

最低ランクの自転車を借りた俺がばかなんだけど、ちょっとでも強くペダルを踏み込むとギアが噛まなくてガッコンガッコンなるし、ついにはチェーンまではずれてしまった。こんなところまで来てチャリンコ修理で手を黒くするとは、バックパッカー冥利に尽きます。
ずっとレンタサイクルの店員に伝えるべき愚痴のことばかりを考えていて、返却時間をとっくに過ぎていたりしたのを逆にクレームにしてしまいました。修理が完璧なのを褒めてもらって、ムカついた。

カトマンドゥ・モール


モールが閉まる直前に、飛び込みで入店。わりと日本でよく見られるようなモールに近い。入り口んところにヒンドゥー教の神様(たぶん)をあしらった占いマシーンがあって、若い女の子達がそれに興じてたりして面白かったな。

近代的な建物で、内装も小奇麗。

最上階の子供スペース。

遅くまで開いている最上階レストランで、カトマンドゥの夜景を見下ろしながらチャタモリとビールを頂いた。
チャタモリというのはネパール風のピザで、これは相当おいしかった。
夜風に吹かれながらウィルコムスマートフォンをいじり、ポカラで出会ったサントス少年(id:hey11pop:20080801)に送るためのメールをずっと書いていた。ここで経験した素晴らしい出来事を漏らさず伝えたくて、時間をかけ、拙い英語力で文面をひねりだす。
そうしてたら、育ちの良さそうな若いウェイターが話しかけてきた。ネパールを発つのは翌日だからこれが最後の夜で、ネパールは本当に素晴らしい国だっていうようなことを伝えたと思う。とにかく絶賛がしたかった。
夜景を眺めながら、「御覧なさい。丘の上に光るのはスワヤンブナートですよ」などと言ってムード満点なウェイター青年。

ビールで酩酊


疲労がたたったのか、たかだかビール一瓶で完全に酔っ払いです。

方向感覚を完全にうしなってしまい、ゲストハウスに帰れなくなりかけた。闇夜にガラの悪そうな人たちがうろついているスラムに迷い込んだりして、全く道がわからないの。

世界各国を埋め尽くしたインベーダープロジェクト…とは関係ないのかな。この額の赤い点は、ネワール文化に対するヒンドゥー文化の侵略を意味しているのではないだろうか、などと深読みをしてみる。

6/5

その夜から体調が激変し、嘔吐と下痢に苛まれてトイレから出られなくなった。
あと一歩で帰国の飛行機を逃すぜ!というところまでは追い詰められました。色んなものが出て行きすぎたせいで脱水症状を起こしているから、水分を取らないとやばい。しかし水も珈琲も飲んだ側から吐き出されてしまって、このときばかりは本当に死ぬかと思った。
詳しい記述は避けるけど、未だにトラウマになってます。全体的に赤痢っぽい症状。
ホテルのすぐそばでタクシーを拾うことができたのが幸い。座ってもいられないような体調だったんだけど、トリブヴァン空港まで急いでもらったらチェックインの時間にはぎりぎり間に合いました。出国審査などは、大韓航空の人が手取り足取り全部やってくれたのでなんとかなりました。人として完全に無力化されているということが、一見して明らかだったんだと思う。

仁川国際空港

韓国への到着は6月6日。機内では何も口にできなくて、オレンジジュースばかり飲んでた気がする…。あろうことかこの日は深夜の到着。空港に宿泊する羽目になっていて、仕方がないのでひとまずトイレのすぐ側のベンチをベッドにすることにした。ものすごい回数トイレに駆け込んだことを覚えています。
でも、仁川空港の設備や空調がしっかりしているおかげで、ベンチで寝そべっているうちに段々と体調がまともになってきた。翌朝には身動きが取れるレベルに回復してました。ネパール旅行の締めがこれかよーと後から振り返ってみると情けないけど、一命を取り留めたおかげでこの時ばかりは生きている喜びを噛み締めていた次第…。

*1:日本にもあったりなかったりする炭酸飲料