Welcome Seoul! 〜グルメと世界遺産に囲まれて過ごす四日間


乗り継ぎのついでに、ソウル滞在。いかにも観光旅行らしい観光旅行をしてました(with赤痢)。
※11/8 完結にともない、まとめページを作りました→神秘の国ネパールへ 全17回:目次

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トイレとトイレを点つなぎで巡る、ソウル世界遺産ツアー

身軽になるため、まずは宿にチェックイン。空港からリムジンバスに乗り、初日にも泊まったセファジャンに向かいます。昌慶宮や昌徳宮の目の前にあるこのゲストハウスは、仁寺洞(インサドン)キルという繁華街からも近くて超便利。
赤痢っぽい症状は収まりきらない。ここをベースキャンプに選んだおかげで、トイレとトイレを点つなぎする要領でかろうじて観光を果たすことができました。 トイレットジプシーのみなさんにはオススメと言えます。

昌慶宮 (チャンギョングン)



宗廟(チョンミョ)


景福宮(ギョンボックン)

三清洞(サムチョンドン) 〜韓国の現代アート事情?


瀟洒なギャラリーが軒を連ねる三清洞のクムホギャラリーで、韓国の現代アートを鑑賞。目に心地いいけど、表象の内側に完結していこうとするどっちかっていうとデザイン寄りの作品群。コンセプチュアルな作品もあったけど、そっち方面は完全に滑っていた。アンセルム・キーファーなんかもやっていたし、時間があれば他の展覧会も見て回りたかったな。

韓国人は光についての感性が鋭い気がする。屋根や柱の色使いや、ちょっとしたライティング一つにしてもとても心地がいい。景福宮や昌徳宮もそうだし、故宮博物館の青屋根の染み入るようなまぶしさが忘れられない。

ようこそソウルへ!


で、いざゲストハウスに戻ろうとすると、メインストリートが封鎖されて完全に通れなくなっている。朝からソウル中を警察の集団うろうろしていたので、嫌な予感はしていたんだけど…。
わけがわからないまま迂回路を地図に書き込んでもらい、そこに向かうとまた封鎖されていたりする。改めて道を聞くと、さっき道を聞いたところに案内されてしまったりして…秘められたる力でここにいた全員の頭を破裂させたら面白いだろうなァと思ったけど、やめておいた。

なにかあったの? トラブルですか?と聴くと、「ノ、ノ、ノ、単なるデモンストレーションだよ」と返ってくる。警察のデモンストレーションなんかで街を封鎖しちゃって、俺は右も左もわからない観光客なんだぜ、一体どうすればいいんだ…とやり場のない憤激に駆られたんだけども、恐らくそのデモンストレーションというのは6/10に実施された牛肉の輸入をめぐる百万人デモのことなのだった。
やっとの思いで通れそうな場所を見つけだし、封鎖箇所の路肩の石を乗り越えていこうとする俺の背中に向かって、若い警官が声を投げかけてきた。
「Welcome Seoul...!」

里門ソルロンタン

老舗の専門店。ここで食べたソルロンタンが滅茶苦茶うまかった。コクと滋味あふれる激旨キムチを白いスープにドボッドボに投入し、唐辛子が散ってスープの色が薄赤に染まりつつあるところを沈殿した米とともに勢いよく掻っこむ。ずっと胃がムカムカして辛かったんだけど、食ったら即元気になりしかも食欲まで湧いてきたという…。
地球の歩き方に載ってた「アジュ マシッソヨ(とてもおいしかったです)」を”中国語の部屋”みたいなテイストで店の人に向かって読みあげたら、ものすごくいい笑顔を返してくれました。スゴハセヨー*1

6/7

起きたら、さらに体調が悪化してる。腹痛と頭痛に始終さいなまれどおしで、意識も像を結ばない感じ、ゾンビのようにフラフラと。
セファジャンのおばちゃんにもう一日泊めてほしいという意思を伝え、バックパックを預けたまま外出。もっと安いドミに移らないと金が消えるけど、背に腹は代えられない。

昌徳宮(チャンドックン)


チャン・ドンゴンチャン・ドンゴン言いまくってたら睨まれました。李氏朝鮮の王宮である景福宮離宮として建てられ、世界遺産の指定を受けている昌徳宮。

ツアーでしか入れない日だったみたいで、その他大勢の日本人ツアー客に紛れるハメになった。こんなに多くの日本人を一度に見たのは久しぶりなので、嬉しくなってしまって日本人を撮りまくり。

ツアー客から微妙に距離を取りたくなってしまう嫌なバックパッカー心理…。

「俺はヒマラヤを見てきた旅人なんだぜ。チャングムや冬ソナに憧れてやってきたアンタ達とは、わけが違うんだ」*2

体調が酷すぎて地獄の責め苦のようだったが、建築の素晴らしさにアドレナリンが出まくり。彩度を抑えた色の組み合わせが目に心地いいし、野趣がありつつソフィストケイトされている感じがたまらない。

「この東屋はチャングムのロケに使われました」とガイドの金さんが言った途端、一同から「おおーッ!」という声が上がった。

明洞(ミョンドン)

地下鉄で明洞に移動し、全州中央会館という有名なお店でピビンパブを食べたけどこれはあんまりおいしくなかった。
この界隈は、どこもかしこも日本人だらけです。お店でイゴジュセヨー*3とか言ってたら韓国人だと思われたらしく、後で日本語を使ったら「日本人だー!」驚かれた。その一言で、その人たちが日本人だったということにこちらも初めて気が付くという。

明洞聖堂は改修中ということで幕に覆われており、激レアな光景。ラッキー!

勾配が多くて変化に富んでおり、渋谷と新宿と銀座をちょっとずつ足して割ったような面白い街並みだった。写真中央に映ってるのは貨幣金融博物館といい、旧日本軍統治時代の建築。
休憩スポットを見つけては何度となくぶっ倒れたりトイレに駆け込んだりしてたんですが、たまたま転がり込んだお店で食べた三段重ねのジェラートがかなり美味しかった気がする。

南山ゴル韓屋マウル(ナムサンゴルハノンマウル)


地下鉄を使って、韓国の伝統建築を保存している南山ゴル韓屋マウルへ。ほとんど白とびしているけど、南山Nタワーが映っているのがおわかりでしょうか。

旧暦端午の節句ということで、フェスティバルが開催されていて賑やかだった。ハイジのオープニングみたいなすごいブランコをみんながこいでる。こういう長いブランコをこぐのはとても難しいらしいと聞いていたので、やらなかった。

相撲大会があったり餅つきがあったり、民族衣装を着た着ぐるみが歩いていたり。フェスティバルのパンフなどで使われていた、乳房まるだしの女性がブランコをこいでいるという風俗画からもそれとなく伝わってくるんだけども、山岳地方の素朴な風俗といった感じだ。

韓国文化の源流には、こんな素朴で温かい風景が存在してたのか…。民俗音楽の節回しに耳を傾けているうちに勝手に感極まってしまって、韓国の人から見ると非常にウザいかもしれないんだけど。

トッサムシデ本店

鐘閣の近くにある、行列のできるサムギョプサル屋さん。日本のグルメ誌でも紹介されているような有名店だ。焼いた豚肉を大葉やキムチとともに挟んで食べる、というのは日本でも経験したことがあったけれども、ここのは餅まで挟み込むようになっているから新鮮。
行列に並んで待ち続けたのに土壇場で2人前からしか注文できないと言われてしまい、やけになって2人前を平らげたら赤痢がひどくなった。
トッサムシデ本店

清渓川路

広々とした河川の両岸に、きれいな高層建築が立ち並ぶ。エレクトリカルパレードみたいな電飾の馬車が橋の上をパカランパカラン歩んでおり、その脇では、デモ行進の若者達がプラカードを掲げて声を張り上げたりしている。100万人デモの兆候…だったんでしょうか。
思わず感動してしまう眺め。土地の使い方が広々としていて、開放的なのもいいなあ。

伝統茶院

明洞から仁寺洞まで歩き、韓国の伝統家屋で韓国茶が楽しめるという伝統茶院へ。お腹が下っていたので、トイレ目当てです。ようやく巡り着けたと思いきや、よっぽど俺に恨みがあるらしい誰かがトイレにこもりきりになっている。なんて仕打ちだ…不自然な挙動でトイレの前をウロリチョロリとしていたわけなのですが、拙者、まさにぎりぎりでござった…。
ここでは、どろっとしたナツメ茶を頂きました。
伝統茶院

ロング・グッドバイ

ゲストハウスに帰り着く。ひと風呂浴びてさっぱりしたら、スマートフォンに書き溜めていたサントス宛ての手紙をフロントにあるパソコンから送ります。
母親を早くに亡くし、日本に渡る日を夢見ながら学費をバイト代でまかなっているサントス。帰国したら、メールで日本語を教えてあげる約束をしていたんだよね。

ところが、メールの送信は失敗。何度アドレスを打ち直しても、返ってきてしまう。
サントスははっきり言って詐欺師である可能性が高いんだけど、もし八割くらいでも確からしいと感じられたならば、片道航空券くらいは買ってやってもいいかなあみたいな気持ちにはなっていた。面白そうじゃんか。日本の観光名所に連れていったり、ビザや仕事の世話をしてあげるのも悪くない、そういう行いは人生を豊かにするんじゃないか、と色々企んだりもしていたんだけど、これでおしまい。
働いていたレストランに国際電話をかければ、まだ連絡を取ることはできた。でもまあこのあたりが目の醒ましどきだったんだろうということで。

6/8

完全に金が尽きたため、もう何もできることがない。セファジャンをチェックアウトしてからはバックパックを背負いっぱなしで、おまけに雨が降っていて、体調まで最悪だという…。

バックパックを預けたくてソウル駅でコインロッカーを探したんだけども、元々数が少ない上、その全部がふさがっている。仕方がないので駅のスムージーキングで小説を読んで三時間つぶし、南大門まで足を伸ばしちらっとだけ見て回る。

南大門市場(ナムデムンシジャン)


燃えてしまった門はこんな感じになってた。
空港で食べる晩飯用に、本当に金がないんだ…サゲヘジュセヨー*4と嘆願して海鮮チヂミを5000→3000ウォンにまけてもらった。留学を夢見て日本語を勉強しているという若者だ。まだまだ日本語は通じないらしく、英語でコミュニケーションを取ってた。
「ネパールは最高だった。うんうん、向こうは英語が通じる。サバイバルイングリッシュでよゆうだったヨ」みたいな話をした。そうしたら興味をもってどんどん色んなことを聞いてくるようになったし、チヂミの値段も下げてくれた。
「How much this one/discount please、イゴ オルマエヨ/サゲヘ ジュセヨ、これいくらですか/まけてください。これさえ出来れば、大抵の国でなんとかなるよ」
得意になってサバイバーぶりを披露していると、俺のチヂミを焼いていたおかみさんが「イゴオルマエヨッ、サゲヘジュセヨー!」と吐き捨てた。好きで安くしてやってんじゃないよ、このオタンコナス!!とばかりの仏頂面。すいません…本当に助かりました。
で、駅まで戻って空港行きのリムジンバスに飛び乗ります。出発は翌日だけど、宿に泊まる金がないのでもうこうする他に手がない…幸い空港の設備は快適そのもので、眠りもそんなに悪くはなかったです。

6/9


エコノミークラスの狭いシートに包まれて、成田へ。
機内誌のAERAを手に取ったら、ロストジェネレーション特集だった。受験戦争と就職氷河期をきっかけに自分探しをするようになり、退職して起業したり、世界中を旅して書いたブログが出版されたりしている同世代の人たちのことが紹介されていて。俺が経験したものごとまでもがタグづけされてそういった要素の集積の中に位置づけられてしまうと思うと、別に自分の経験が特別だとは思ってないけど、ホント元気がなくなるよなぁ…。

旅の終わり

成田から東京へと続く電車の中では、ずっと夢うつつのままだった。ネパールボケというか、得も言われぬ不思議な感触が続く。しばらくは東京の風景に現実味をおぼえることができなかったし、夜中に夢を見ると、夢を構築するパーツがみなネパールで出会った光景や人々だったりした。

これで旅行記はおしまい

完結するまでに5箇月くらいかかってしまっているんですけど、理由と言うのは、途中で別のことに興味が移ってしまったり書くのが面倒になってしまったり。でも、大切なことなので一回一回をきちんと書き切るように心がけました。このような個人的な旅の記録を、見捨てないで気長に付き合ってくださったみなさんには感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました!
神秘の国ネパールへ 全17回:目次
サントスに送った手紙(和訳)をのっけてたりもします。よかったらこちらもどうぞ。
 

*1:またくるヨー

*2:そんな俺もうざかったけど、関西弁のマダムが、ここより京都御所のほうがすごいよ、みたいなことを熱弁していたのがすごくおいしかった。

*3:これくださいヨー

*4:まけてくれヨー