6:退廃の都プノンペンを、あてどもなく逍遙する
プノンペンはカンボジアの首都なのですが、独裁者ポル=ポトが原始共産主義に心酔し、農業に従事しない知識人や富裕層は死刑だ!と人々を農村に強制移住させたりしたせいで一時期はゴーストタウンと化していたこともあったそうです。
フランスからの独立を記念するこのモニュメントは、街の中心部でそびえるように打ち立てられています。賑やかだけど、どことなく疲れきっているプノンペンの街。シャルル・ド・ゴールや毛沢東の名前が通りの名前として刻み込まれています。
国立博物館にはアンコール王朝期のクメール美術が数多く展示されていて、かなりよかったです。
国立博物館の庭には、内乱を思わせる兵士たちや母子の像が、アンコール遺跡と同じように砂岩で築かれ、アンコール遺跡と同じようにガジュマルに抱かれて立っていました。この国の歴史についてはけして詳しくないのですが、数々の惨劇もやがては風化し、大木に呑み込まれて埋没していくのだという未来を暗示させます。肥沃な土壌と大自然のもとで、悲しみの歴史もやがては過去のものとなっていく。
安宿街
どこかアンニュイなトラベラー達でにぎわう安宿街を訪ね、グランビューというゲストハウスに宿を取ることにしました。
ここでもまた、客引きにしつこく付きまとわれて辟易する羽目に…。表面的には明るく朗らかで、オモシロ黒人風なんだけれども、その瞳は人を何人も殺していそうな底なしの暗さを湛えているのです。『シティ・オブ・ゴッド』『ホテル・ルワンダ』『ダーウィンの悲劇』『バイオハザード5』『ブラックホーク・ダウン』といったような作品に皆勤賞で出ていた顔です。まさかあの顔にリアルで絡まれる羽目になろうとは…。
眺めのよい屋上カフェテリアで、ホワイトコーヒーを注文。
ホワイトコーヒーとは言うけどベトナム式の珈琲に自分で粉ミルクを混ぜるようになっているというだけの代物で、混ぜてもこんな程度にしか白くなってくれなかったヨ。
隣接レストランのアモクが絶品。ココナッツのよく効いたカレー風スープの中に千切りのキャベツが柔らかく煮てあって、歯ごたえシャクシャク甘みがあって、風味や食感にメリハリが出ている。
マンゴーシェイクも美味い!
メニューをよく見たら、特別料金のハッピーシェイクなるものが存在していました。ハッピーピザには大麻草やマジックマッシュルームが含まれているらしいので、ハッピーシェイクにもなんらかの薬物が含まれているだろうことは容易に想像できます。カンボジアを旅するときは、不用意にハッピーと名の付いたメニューを注文しないことが重要です。
キリングフィールド
トゥクトゥクをチャーターして、ポル=ポト派の処刑場跡であるチュンエクのキリングフィールドに向かいました。
死者達の遺物。
死の匂いに抗うかのように、ブーゲンビリアが咲き乱れていました。
シューティングレンジ
そのあとトゥクトゥクの運転手に誘われるがまま射撃場でM16アサルトライフルをぶっ放してきたんですが、さすがに不謹慎だったと後悔しています。
物凄い反動があって連射すると明後日の方向を向いてしまうし、狙いを定めるどころではない。瞬く間に撃ちつくされてしまって、もう終わりかぁという感じでした。
鈍く光るM16。ハピネスイズアウォームガン。
みんなからは「AKどうだった?」と感想を聞かれました。確かにAK47カラシニコフとかのほうが共産圏ぽいし、メジャーなのかな? 価格もM16より少し低めに設定されていました。
AKを選ばなかった理由は単にポル・ポトっぽいからという理由で、M16を選んだのはエムなんとかと付くのが正義のアメリカの銃だと知っているからです。もっともポル・ポト派がアメリカからの支援を受けていたという事情もあり、そこら辺の空気は読めませんでした。
街の風景
NGOっぽい雰囲気の日本車。
目の錯覚かもしれませんが、大通りの横断幕を眺めていたら「マンパワーによって、我々は全てを乗り越えることができる」なんていうことが書いてありました。ところがもう少し進むと「マンパワーとはボランティアである」というようなことが書かれた横断幕があって、二つの横断幕の内容を組み合わせると「ボランティアによって我々はすべてを乗り越えることができる」という衝撃的な内容が浮かび上がってくる…。
ちなみにキリングフィールドからここまでの写真のみカールツァイスのSonnar135mmを使用。一応出番があったね。手ブレばかりだけども。
グランビュー
カーテンを引いた部屋でモクモクと煙草を吹かしながら、これまでの旅程を振り返るの図。風を受けて膨らんだカーテンの隙間からは、雲や青空がきらめいて見えます。
カーテンの端が翻って青空との面積が入れ替わるさまを、かなり長い間見つめていたと思います。この旅ももうちょっとで終わり。心地のよい疲労感と充実感が、体中を満たしていきます。
スコール
レンタサイクルの手続きを終えて、さて街に繰り出そう…と自転車のハンドルを掴んだ瞬間に大降りが始まってしまい、呆然と立ち尽くす羽目に。
1〜2時間ほどで止んでくれはするものの、降ったり止んだりで何度も立ち往生をさせられました。こともあろうに、雨具を置いてきているのがすごいですよね。(しかもそれでなお予定を決行してしまうあたりが意味不明)
セントラルマーケット
遠目にもすぐ見つかる巨大なドーム。セントラルマーケットは全天候に対応しており、スコールなんかじゃびくともしません。
本当になんでも売っている。
クメール文字のプリントされたTシャツを買ったんですけど、日本旅行の外人がよく着ているような、「愛」とか「誠」を謳った恥ずかしいメッセージTの可能性は当然のことながら考えられるわけですよね。
後でホワットイットミーンズと聞いたところ、「これは”クメール文字のあいうえお”だヨ」と教えてくれました。カンボジアじゃあ誰もこんなシャツ着てない!
鶏のギッシリ詰まったケイジに、更にぎゅうぎゅうになるまで鶏を押し込んでいるマダム。
王宮・シルバーパゴダ 〜レンズの死
雨上がりの新緑が眩しくきらめき、街区全体が祝福されているかのような王宮周辺。鳥たちが一斉に飛び立つ瞬間を捉えようとファインダーを覗き込んだ俺を待ち受けていたのは、世にも過酷な運命であった…。
レンズが曇ってファインダーが見えない…。
無理やり撮影すると、ぼかしが入ってしまう。
王宮にも意味深なぼかしが…。不敬なことこの上ないですよね。
やけくそになって、ぼかしのかからない/ぼかしを効果的に用いた構図の研究を始めました。
↑これけっこう面白くないですか? (駄目か…)
「ねぇそこのお兄さん、なんでこんなところがモヤモヤしているの?」
「いや、レンズが曇っちゃってサ…」
ワット・プノン
小高い丘の上に寺院を頂くこの公園は、プノンペン市民の憩いの場となっていました。
その昔、ペン夫人という女性が、拾った仏像を祀るために祠を建てたのがこの丘。プノンペン(ペン夫人の丘)という呼び名は、そのままプノンペン市の語源にもなっています。
(いつの間にかレンズが復活している)
本堂の中。大きさも色も素材もバラバラの仏像が、統一感もなくこれでもかとひしめき合っている。光背を表すものとして電飾を用いているのが新興宗教チックですが、実際に見てみると違和感は感じさせず、かなり面白かったです。
この子は長い髪を前に垂らし、リングの貞子のような格好で髪を梳いていました。めちゃくちゃ怖くて面白かったので撮ろうとしたんですが、撮ろうとした瞬間に気づかれてシャッターチャンスを逃しましたし、「コラーッ☆」と言いながらニコニコ笑顔で追いかけてきたので強く印象に残っています。
ゲストハウス
レンタサイクルを返すために安宿街に戻ると、常日頃から呼び込みのしつこいトゥクトゥク運転手たちが、
「「「ジッテンシャ?」」」
「「「 ア・ブ・ナイヨーゥ!」」」
と日本語で声を揃えて言いました。
極端に車優位な社会なので、道路を渡るために走行中の車を無理やりかいくぐる必要があったりして、確かに旅行者にとってはヘビーだったと言えます。だけど気を抜こうものなら高菜ふりかけのようなものの入った袋を売りつけようとしてくる彼らと較べればよっぽど安全だし、信頼のおける交通手段だったと言えます。
愉快な旅先の1コマで片付けてしまいたいところだけども、全員が麻薬中毒者めいた胡乱な目つきをしているところをみなさんには想像してほしくて、事実これを通りがかる度に繰り返されて俺は結構怯えていましたし、特に片言の日本語がゾンビっぽい嫌な感じを醸し出していて、彼ら自身に対するネガティヴキャンペーンとしては覿面の効果だったと思います。*1
でも
かなり楽しかったです。色々破綻しているし、住人も旅行者もみんな疲れ果てているけれども。ネパールのカトマンドゥのような場所で感じるいわゆるカオスとは異なり、本当に破綻しているという感じでした。
好印象なポイントとしては、カンボジア料理がどこの店に入っても異常に美味しかったせいもあるかもしれない。タイ料理に似ているんですがまろやかでコクがあって、日本人向けにローカライズされたタイ料理なんかよりもさらに日本人好みの味でした。
深夜のカオサンストリート
飛行機でカンボジアを脱出。タイのスワンナプーム空港からタクシーでカオサン通りに向かいます。色んなところで語り継がれている噂通り、タクシーの運ちゃんが頼みもしないのにまじで130キロくらいで飛ばしてくれたことに感動しました。
カオサンストリートでスコールの洗礼を受けている場面。
というわけで、次回はバンコクのカオサンストリート〜王宮周辺の様子をお届けします!
*1:もちろんちゃんとした人もいます。キリングフィールドに連れて行ってくれたのは紳士的でクリーンな青年でした