雨のポカラと、サランコットの丘


2008年5月28日。ギャネンドラ王の退位によって239年続いたシャハ王朝は終焉を迎え、この日、ネパールの国号は王国から連邦民主共和国へと変更された。カトマンドゥで小規模な爆弾テロが相次いでいたその頃、そんな事情とは全く縁もゆかりもなく、俺はリゾート地のポカラにいた。
前回:チトワン密林決死行 〜驟雨のエレファントライド

5月28日 チトワン→ポカラ

同宿だった日本人カップルに、「よい旅を」と手を振り見送られながらバスで出発。ルンビニから一緒だったイギリスの子とはまたまたバスが一緒で、ポカラで手を振りお別れ。
バスの中では別の日本人と遭遇。チトワンでは二組の日本人カップルと遭遇したわけなんだけど、そのうち、俺が行動を共にしていなかったほうのカップルとずっと行動を共にしていたみたいだ。出会って別れ出会って別れ、旅立った者どうしがまた合流したりする。
その彼とも、ポカラでお別れです。この街にはレイクサイドとダムサイドがあって、ダムサイドには日本人が多い。少し迷ったけれども、レイクサイドにあるルスティカ・ゲストハウスに泊まることにした。

ルスティカ・ゲストハウス


アクセントに用いられた青が印象的な、ルスティカ・ゲストハウス。この界隈は全体的にラブホテルじみたホテルが軒を連ねており、特に向かいにあったホテルはやばかった…ピンクで統一された壁面に、”癒しの館”とか日本語で書いてあるんだもん。
料理が美味しいと評判のこのホテル。フロントで料理を注文すると各階のテラスまで持ってきてくれます。なにを頼んでも本当に美味しくて、チョコレートパンケーキも絶品だったし、ダルバートなんかはここのが一番美味かったんじゃないかな。

雨のポカラ


ネパール第二の都市、ポカラ。フェワ湖を取り巻くように広がっている美しい街です。観光客向けのホテルやレストランが軒を連ねていて、客引きの声も盛ん。
観光スポットを見てまわろうと出歩いていた矢先、いきなりスコールに見舞われてしまった。しばらくはその状況*1をぼんやりと楽しんでいたんだけども、ちょっとずつ危険になってきたのでネットカフェに逃げ込むことにする。

ネットを通して日本のみんなと言葉をかわしていると、気持ちがホカホカしてきました。
USBポート付きのパソコンを宛がってもらい、持参してきたGreenhouseのSDカードアダプタ(¥500)にメモリを装着。ランタンやキャンジン・リの写真を5枚ほどアップした。
シャッター速度をゆっくり目にして絞り4.5くらいで撮ってることが多かったんだけど、ここのモニタで確認したら意図してた以上に露出オーバー&絵が荒れていることに愕然とし、この辺りから1つ2つ多めに絞るようにしてたと思う。

5月29日 サランコットの丘


翌日は朝八時台からホテルを出て、アンナプルナのビューポイントであるサランコットの丘へ向かいます。街道沿いのレンタサイクルで自転車をゲットし、コキコキしながらフェワ湖に沿って北上していく。

のどかな湖水の風景が広がっています。
自転車を置いて鍵をかけ、あちらこちらで道を尋ねながら坂をあがっていく。

この逃げ場のない状況で水牛と鉢合わせすると、死の危険を感じます。

ロリータの色仕掛け


小学生くらいの小さい女の子がいきなり近寄ってきて、腕や腰をぺたぺたソフトタッチしながら、お金ちょうだいよと要求してきた。スキンシップに弱いとでも踏んだのかな…。ないよないよって追い払おうとしてもダメで、「えー、ウソでしょ? 日本のオトコが金持ってないなんてさぁ」と言って、腰の周りをまさぐりだした。コラ!*2
丘の上では、ことあるごとにルピーやスイーツを要求された。ギブミーサムスイーツ!ギブミーサムスイーツ!と言ってねだってくる。スイーツ(笑)、と括弧笑いをつける余裕なんて微塵もなく、リアル飢餓に追い詰められている感じ。

中腹からの眺め


ひぃひぃ言いながら登りはじめて一時間半。気が付けば、眺めが相当すごくなってきてる。

中腹の村で、一休みしてファンタをがぶ飲みした。ネパールのファンタはやたら甘ったるくて危険なケミカルを使っていそうで、大変好みだ。

水浴びをする水牛。

金目当ての女にモテた

特にポカラでは、日本人はもてるみたいだ。
重たそうなカゴを額に引っ掛けて担いでいる女の子が「ナマステ、どこから来たの?」と聞いてきたので日本からだよと答えると、「素敵! 日本大好きよ!」と目をキラキラさせ始めたり、日本というキーワードに反応し、はにかんで睫毛を伏せる女子もいたかな。日本人=ゲットすべき婿という通念があるんだろうね…。あんまり悪い気はしなかったので、これまで金にこだわりのない人生を送ってきた俺だったが、お金持ちになってみたいものですなあとお金の偉大さを素直に実感。
それにしても、大きな一眼レフを首からかけ、高い航空券を購入し、仕事を休んで一ヶ月もネパールを周遊しているあいつは金持ちに違いない!という判断を彼らはしているみたいなんだけど、だからこそもう貯金が全く残っていないのだという可能性もちゃんと考えるべきだね。

アンナプルナ見えず

サランコットから望むことのできるアンナプルナ連峰は、ネパールにおいてはエベレストのあるサガルマタ国立公園に次いで、世界中のトレッカーからの人気を集めている。マチャプチャレ、ダラウギリ、聖地ムクティナート…いずれは行かなくては。

村から一時間半もかけて展望台まで辿りついたにも関わらず、ガスが出ていてアンナプルナをうかがうことはできなかった。そこにいた老人達から、もし見たけりゃ夜明けごろに来い、と言われてしまったよ。
「It's too late...」

サランコットで迷子


どういうわけか、途中から道がまったく分からなくなってしまった。行きと違う道から帰ろうとしたせいだ…。ウォーターが尽きてて喉が渇くし、まだ回復していない膝が激しく痛むのでテンション下がりまくる。

パラグライダーを発見。いいなー俺も鳥になりたいよ。お兄さん疲れちゃったなー。

道に迷っていたら、子供達が「そっちじゃないよ!」と声をかけてきてくれた。「そうそう! そっちそっち!」とア・バオア・クーのカツレツキッカ*3みたいな感じで道を教えてくれて、危ないところを何度も助けてもらったよ。

下界を臨む牛飼い。

なおも道を間違え続けて、変な段々畑みたいなところに入ってしまい、牛たちからの顰蹙を買うはめになった。

「カエレ…」

「カエレ…」 「ソコノニンゲン、カエレ…」
俺は今や、全牛の注目を浴びている。

敷石があるのはかなりマシなほうで。

そしてようやく、フェワ湖の北岸まで辿り着くことができました。
見えているのにどうして全然辿り着かないんだろう、ってずっと思ってた。自転車を回収して速攻で帰還。疲労はすごいけど、気力だけはみなぎるように充実している。

サントス登場

ポカラの街に舞い戻り、日本食レストランでクソまずいカツ丼を食べていると、サントスという従業員の少年が声をかけてきた。日本の文化に興味があって日本語が勉強したいらしく、これから行きたい場所のことを話したら、じゃあ一緒に行く?っていうことになった。
どうやって手に入れたのか、サントスは手持ち無沙汰なときに日本のファッション誌であるSMARTのバックナンバーを読んだりしてる。なかなかの洒落者です。


「日本に行きたいよ、ジャパニーズガールはリアリーキュートya!」
「可愛いよねー。でもネパールの子も相当可愛いんじゃない?」
「ホントにそう思う? 日本人とネパール人の結婚てスッゲ多いんだよ、知ってる?」

「日本の餃子とネパールのモモはどう違うの?」
「ネパールは牛を食べちゃいけないから、水牛の肉を使ってる」
「ジャパニーズ餃子は好き?」
「美味いよね」
「モモも美味いよね。俺はむしろ、モモのが好きかな」

そんな話をしていたら、店のおかみさんが「物々交換てことだよ…」と惚けた調子で口を挟んできた。


巨大な雹がふってきた

パタレ・チャンゴに向かおうとしてローカルバスに乗り込むと、ネパール少年と日本人の取り合わせということで好奇の視線が突き刺さりまくる。でもそんなのは気にしなくてもいい。
バスを降りると、マシンガンの弾のような射速で巨大な雹が通りのアスファルトを打ちつけ始め、もう痛い痛い。一歩たりとも歩けなくなってしまい、仕方がないから雨宿りの軒下で会話。アンラッキーだけど、僕たちが出会えたことはラッキーだよね、ってサントスは言ってた。可愛いガキだな。

W-ZERO3に入れておいた日本の桜の写真を見せてあげたら、ものすごく感動してたよ。*4サントスは日本に留学したいんだって。でも日本語はほとんど全くわかんないから、勉強しなくちゃならない。通っている高校にも日本語の授業はないらしくて。
どうするのがいいんだろうね。日本食レストランには日本人がたくさん来るから日本語を使う機会も多いだろうし…でも一番いい方法は日本人の友達を作ることだよ、と言っておいた。
二人の剥き出しの腕には鳥肌が立っていたから、Japanese say トリハダ 。トリハダ means bird skin! みたいなことを言って笑いあった。イエス、ウィーアーフレンズ。

パタレ・チャンゴ

もう帰ろうか、みたいなことを話していたんだけど、その矢先に雹がやんでくれて、だからそこら中に降り積もった馬鹿でかい氷の塊に呆れながらもパタレ・チャンゴまで歩いていくことができた。

パタレ・チャンゴは別名をデヴィズ・フォールと言って、デヴィというスイス人女性が落下して命を落としたことからその名が付けられたらしい。
サントスはガイドを気取って、色んなことを教えてくれた。後でガイド料をせしめてくるいつものパターンかな、と思いつつも、彼が一緒に行こうと誘ってくれた時に「ガイド料なしで?」とちょっと失礼なくらい露骨に釘を刺しておいたということもあるので、ここは彼を信用してみることにする。

おかしい

それはいいんだけど、サントスはいきなり身の上話を始めたりする。お母さんを早くに亡くしたことや、アルバイト代で学費を賄っていること。僕を日本に連れてって!と悲壮なことを言うんだよね。それは無理だよと言うと食い下がってきて、切々と涙目で訴えたりする。こちらは完全に白けきってしまって、本当なのかな急に大げさだな、こいつもやっぱり詐欺師なのかななんてことを思っている。
コインを水瓶に向かって投げ込んで、運がよければ中央部に乗って願いが叶う、という占いみたいなものをやってみた。全然ダメで、1ルピーコインは無碍にも底に向かって沈んでいく。それを何かの暗示と感じたわけではないんだけれども、全体的にしょぼい気持ちに纏いつかれている。

マハーデヴ洞窟

続いては、マハーデヴ洞窟へ。

入ってすぐのところに小さな祠があって、迷い込んだ僧が偶然発見したというシヴァ像が祀られていた。残念ながらここは撮影禁止。
胎内を思わせる生温かい洞窟のなかを、滴り落ちる水に跳ねかかられながら進んでいく。あそこにヘビがいるよ!とサントスは指をさして言うんだけど、どこにいるのか全く分からない。

ピース。

そして帰る

再びバスに乗り込み、ホテルの近くまで戻る。ウィーアーフレンズ、アイミスユーみたいなことを、まだ会ったばかりなのにサントスは言い始める。俺はそんな彼に向かって、夢はきっと叶うよ、みたいなことを無責任に言いつつ、ビザを取ることの難しさや、もっと経験を積んでから自分のお金で日本に来るべきだ、という自分の意見のようなものを伝えた。一生海外に出られないネパール人も多いということを念頭におきつつも、そんな欺瞞に満ちたことしか言えない。*5
「見て見て、ほら地面に落ちてる。Isn't it beautiful ya? テイカピクチャ!」

「僕も撮ってくれYO!」

なんだこいつ、ヘンなやつ!
レストランに来てくれるよね、というので、晩飯は彼の店に向かう。停電のせいで蝋燭の光にぼうっと浮き上がるレストランの中。日本語でも教えてあげられたらと思って、メールアドレスを交換した。俺は翌朝のバスでカトマンドゥに戻る。朝が来たらこのレストランで合流し、一緒にバスパークまで向かおうということになった。

さよならサントス、また来てポカラ

バスの時間がぎりぎりになってしまったので、タクシーを捕まえ店の前に停めさせ、サントスを拾ってから行くことにした。彼は俺の見送りに来られるように、早起きして店の仕事を全部済ませてくれていたみたいで。
「サントスはいますか」と店の女性に言ったときの、「まぁ、サントス…?」という慈愛に満ちた声が忘れられない。みんなに愛されてるんだな、そりゃあなあ。カラマーゾフ兄弟のアリョーシャみたいなやつだもんな。
バスパークに着いてもバスの中まで付いてきてくれて、アイミスユー、ミートゥーみたいなことや、カトマンドゥに着いたらすぐにメールを出してねみたいなことを話しながら彼は涙さえ見せた。でも、滑らかにコミュニケーションが取れるほどには言葉で通じ合えていない。早口のまま喋っちゃうから、何を言ってるのかがほとんどわからないの。言葉は尽き、話すこともなくなってしまったので、バスの出発まではまだ時間があるというのにもう帰ると彼は言い出し、こっちも特に引き止めはしなかった。
そしてバスは出る。

途中で立ち寄ったレストランにいた猫。
ヒマラヤなのに、ヒマラヤンじゃないとはけしからん!

*1:風で吹き倒される看板とか、坂を流れ落ちる雨水とか

*2:全体的にこの子は、フルハウスのステファニーみたいな感じで喋り方やジェスチャーが大げさだった

*3:ガンダムネタです

*4:多機能なスマートフォンの存在そのものに対しても驚いているみたいだった

*5:参考になるんじゃないかと思って、前にトレッキングに着いてきてくれたガネーシャが、どうやって日本語を学び、どうやって職を得たのかということも教えてあげた。ガイドは他の職と較べて収入が高いからお金が貯まるし、日本語の上達も早い。リラのようにガイドから旅行会社のホワイトカラーへとランクアップすれば、更に年収はあがるだろう。でもそう簡単にはいかない。リラは大学を出ているけれども、サントスは大学に通えるかどうかもわからない。