世界遺産!幻惑の聖地ボダナートと、美の都ラリトプルをさまよう

ラリトプルで出会った、死にかけの犬。

あまりの猛暑に、ネパールの犬々は地面に這い蹲ってハァハァしているのがデフォルトだ。抜け毛のひどいこの犬はことさら弱りきっていて、こちらがシャッターを切るたび、それほど煩くもないシャッターの音に怯えるようにしてビクッビクッと体を震わせていた。

5月22日 シャブルベンシ→カトマンドゥ

パラリロパラリロ、という暴走族じみたクラクションに叩き起こされ、おかげでランタン最後の朝は爽やかな目覚めだった。この品性の欠片もないクラクションは、カトマンドゥとシャブルベンシを結ぶローカルバスのものだ。
バスの屋根に乗り込んだ人たちの影が岩壁や道路に映り込み、ゆれながら起きたり寝そべったりする様子がおもしろいのを眺めながら、寝ぼけ眼でぼんやりとカトマンドゥに向かう。谷間の景色も雄大ですばらしくて、デジカメの電池が切れてしまい写真に残せなかったのが残念なくらいで。
来る時もそうだったけど、人が乗り降りする集落では、その土地の人たちが高いところに昇ったり金網に張りついたりしながらバスの到来を今か今かと待ち構えている。そんなだからバスに乗っている側としても見ていて非常に面白いわけなんだけども、それというのは、人々がバスに惹きつけられることによって車窓の景色が自ずからドラマティックに変容していっているようなイメージがあって。
例えばルノワール黒澤明の映画においては、カメラが移動していく各局面において、モブや大道具小道具の配置が目を楽しませてくれたり、構図が最適化されていたりする。ランタン谷に向かうバスは、バス自体が人気者であることによってそれと似たような効果を引き起こしている面があるんじゃないかな。
そんなような、途方もない思索に耽りながらバスにひた揺られていく。見る側が最も見たがっている状態というのは、もしかしたら、見られる側の最も見たがっている状態を自分自身がキープすることにより生起するんじゃないだろうか・・・。

決死行

と、なんだか異常に狭苦しいと思ったら、隣に座った若いお母さんとその子供達がどんどん俺のシートを侵食してきている。肩とか肘とかがぐいぐい食い込んでくるの。ちっちゃい女の子に枕にされたり、男の子に手持ちのミネラルウォーターを奪われたりで、そしてあろうことか保護者たるお母さんまでもが子供達の願望充足を最優先事項にしてる。俺の迷惑とか関係ない。なんというモンスターペアレント…。
しかも訪れた危機はそれだけではなく、屋根の上の乗客が「降ろしてくれー」みたいな感じで車体をバンバン叩きはじめてるの。ただごとではない慌てっぷり。しかしバスはそんなの無視して走り続けてるわけ。
しばらくすると、ウェェーッ、と上の人が声をあげてゲロをはき始めた。窓は車体の角に沿って直角に配置されてるから、真上で起こっているサムシングがありありと見て取れる。三つくらい前のシートに座っている人たちの頭上を、半固形物の混じった白っぽい液体が糸を引きながら伝って落ちてく。たまたま窓が閉まっていたから、よかったようなものの…。
それに釣られてか、一個前の座席の人がゲーゲーしはじめる。すでにカトマンドゥ市街地に入っているから反対車線の車やバイクにはまともにかかるんだけども、その人は外に向かってゲーゲー吐くしかなくなってる。誰にも迷惑がかからないタイミングをなるべく狙っていこう、という意思は辛うじて存在しているようだった。

煤と煙のカトマンドゥ

大気に色がついて見えるほどの煤煙に汚れたカトマンドゥ排気ガスに加えて舗装されてない路肩から巻き上げられた砂煙も酷くて、咳き込んでしまうほど空気が汚いから、わざとらしく口元を扇いだり、バンダナで口を覆って顔を顰めている人の姿が多く見られたりする。おまけにとにかく何かあったらクラクションを鳴らす、みたいな交通マナーになっているもんだから、ビービー煩くて仕方ない。

バスパークで降ろされてからタクシーでタメル地区まで送ってもらい、また明日会おうと約束をしてガネーシャとはお別れ。彼から教わったマウンテンガイドの歌を反芻してみる。
「今日はこの山 明日はどこの山〜 けして楽じゃないこの稼業 ホイサ」
記憶があいまいだけど、確かこんなんだったと思う。彼はこのあと、お嫁さんとデートの予定でも入っているのかな。もっと一緒にいてあげられるといいのにね。

そしてまたヤクと出会う

真っ赤に日焼けした顔でバックパックを背負いながら歩いていると、なんだか一回り成長したような気分になってくる。「トモダチ」「トモダチ」「コンニチワ」と四方から飛び込んでくる声をあしらいながらのっしのっしと歩いていたところへ、十歳くらいの子供が「ハッパいりませんか?」とにじり寄ってきた。
「What?」思わず聞き返すと、「チョコレートどうですか?」と今度は売り物を変えてくる。腹が減ったし、チョコレートなら食べてもいいかな。でも両替しなければお金が全くないような状態だったので「No Thanks」と答える。すると、俺の物分りの悪さに呆れたのか、
「Enjoy your life...」
子供はそれだけを言い残して去っていった。
そうさせてもらうよ、ありがとう。

5月23日 カトマンドゥ周遊


ボダナート

タクシーを捕まえ、チベット仏教の聖地ボダナートへ。写真はここにある世界最大のストゥーパだ。そこかしこからお香が漂ってくる中で、袈裟を着たお坊さんが五体投地をしながらストゥーパの周りを一周している。

巨大なマニ車を回す。サンスクリット語真言が書き込まれたこの車は、回すことによって経文を読むのと同じだけのご利益が得られるんだって。ストゥーパをぐるり一周囲うようにして、小型のマニ車が無数に設置されていたりする。

侏儒(こびと)に導かれ、聖地を巡る

この大型のマニ車は、一周するごとにそれを告げるための仕掛けが作動してGjyooohn!!と神韻縹渺たる響きを奏でるようになってる。俺がぐるぐるしてると、帽子をかぶった侏儒がとてとてと歩み寄ってきて、人懐っこい笑みを向けながら、
「ちがうちがう、二つのマニホイールの間で、八の字を描くように回るんだヨ」
と教えてくれた。
「君はチャイニーズ?」と聞いてきたので、ちがう、日本人だよと答えると、「ついておいでヨ」と言うので、ついていくと、赤い顔料がこびり付いた小さな石像がそこにはある。侏儒は顔料を指で掬いとって、自分の額にぺたりと付けた。
「やってごらんヨ」
と言うんだけど、後から痒くなってきそうであまり気が進まない。俺が二の足を踏んでいると、侏儒はもう一度顔料を掬い取り、「ホラ、やってあげるヨ」と指を近づけてきた。それを受け入れると、ひんやりとした感触が眉間に押し付けられチャクラのようなものがどうやら俺にも備わる。これでOK?
「そうだヨ そうだヨ!」

真言ガールズ

振り仰ぐと女の人たちが唱える真言が聞こえてきたので、侏儒と別れてそちらへ向かってみる。極彩色の仏画が所狭しと描きこまれた壁面を眺めながら、楼閣を登った。

屋上にあがると、ストゥーパが一望できる。

屋上にはお堂が一つあって、中では袈裟を着た少女達がすし詰めになって「オンマーニー・ペメホン、オーミー(うろ覚え)」という真言をかなりのスピードで繰り返しつつトランスしている。曇りのない朗らかな声で一心不乱に唱え続けており、でもそのすぐ側ではおばさん達が洗濯をしていたりなんかして、まるで異世界と界面を接しているかのようなこの聖地だけど、空惚けた日常と隣り合わせのところにそれは存在している。

荒廃してる

そのあと聖地の周縁部をうろうろしてみたんだけど、あまりの荒廃ぶりに悲しくなってきた。

子供達がひしめくテレビゲームコーナーを発見。設置されていたのは全てストリートファイターEXという10年前の日本のゲームで、ダラン・マイスターというインド出身プロレスラーキャラがちゃんとネパリ・キッズに愛用されていたのが嬉しかった。すごいしょうもない話ですいません。
ボダナート前。写真の左下に映っているのは、靴を直してやるよといって接近してきた少年。

リクシャーのアルフレ

タクシーで市街地へ戻り、タメル地区やインドラ・チョークのあたりをうろうろ。途中で完全に迷子になってしまったため、すぐ側にいたリクシャーを捕まえることにした。

自転車を漕いでいるのはたぶん16歳くらいの美少年。路面がガタガタなので乗り心地は酷いもんだったけど、リクシャーに乗るのは初めてだしワクワクする。
100ルピー払う約束だったところを、俺はなんと細かい紙幣を一切持ち合わせてはおらず、もちろんこの少年だってお釣りなんてものは持ち合わせていない。というよりこの時はまだ気付いてなかったんだけど、ネパールの人に「Do you have change?」と聴くと大抵ノーという返事が返ってくる。
なんとか90ルピーをかき集め、平謝りだ。ごめんね、10ルピー足りないけど、安くしてよって言うと、はじめは怒りと落胆の入り混じったような表情をしたものの、こちらが本当に困っているのを慮ってくれたのか、「いいですよ、ありがとう」と言って、天使のように笑った。

そう、そんな感じ。
そして優しい手つきで金を受け取ると、何事もなかったかのように俺を見送ってくれた。で、ちょっとその辺を歩いて戻ってきたら、同じ場所で一生懸命観光客を勧誘してる場面を目撃。ごめんね、本当にありがとう。

すべてのトラップを発動させるということ

旧王宮を中心として広がる、ダルバール広場に向かう。
説明は省くが、二人のチンピラ風青年に付きまとわれていて俺はとても機嫌を損ねている。「トモダチトモダチ」と言って近寄ってきたのが、友達の定義について一家言もってる俺の苛立ちを余計に募らせる。「あんたらなんか友達なものか!」、と身も蓋もないことを言って追い払おうとしたんだけども、日本語はほぼ通じなかったり。

彼らに案内してもらってたどり着いた、コインの木だ。この場所を拝むと、歯がよくなるらしい。
首にカメラをさげて歩いていると、面白いように色んな人から声をかけられたり、付き纏われたりする。時々は怖い目や不快な目にあったりもするんだけど、結局今回は追い払うことができたし、タダで案内してもらえたわけなので、トータルでは得をしていると断言することも可能でしょう…もしあなたが、ポジティヴ教に入信済みならば。
ダルバール広場に辿り着くなり、今度は変な老人に声をかけられた。

なんでこんな変な構図にしたのかは思い出せない。写真を撮ってくださいというので、撮ったら金を取られるだろうなと薄々感じつつも、つい撮ってしまった。失敗だったと思う。100ルピーほどせびられてしまい、それは無理だと思ったので「I pay only 20 rupees for you」と言って値切ったんだけど、30ルピーも持ってかれてしまった。おばさんが一部始終を見て、苦笑いしてる。
ダルバール広場とは、王宮広場という程度の意味だ。旧王宮は王室のメモリアル博物館になっていたりもするんだけど、これは全然おもしろくなかった。あんまり素通りしてくもんだから、ついには監視員のおじさんに「ちゃんと見てけよ!」とジェスチャーで訴えかけられてしまったくらいで。
旧王宮の中庭から。

広場にはハトがいっぱい。

美の都ラリトプル(a.k.a.パタン)へ

ガネーシャとの約束の時間が、刻一刻と迫ってきている。タクシーを急がせ、仏画・仏教彫刻の職人たちが住まう古都パタンへ。

ラリトプル(美の都)の異名があり、道路の看板なんかにはむしろ「Welcome to Lalitpur」って書かれていたかな。ダルバール広場には古い建物がひしめきあっていて、さながら建築博物館のようだ。

ここはかつてネワール美術が栄えた土地で、ネワールというのは、ゴルカ族というインド系民族に征服されるまではネパールの主流となっていた民族の名前だ。この街に住んでいるのはほとんどがネワール人で、仏教を信仰しているらしい。
ちなみに240年あまり続いたシャハ王朝はゴルカ族によるもので、現在の国教はヒンドゥー教であり、国民のおよそ81%がヒンドゥー教を信仰してる。


ここでも「コンニチワ」の嵐が待ち受けていて、自称ガイドや物売りや物乞いたちが替わりばんこで近づいてくる。途中からめんどくさくなってきたので、「ニイハオ」「アニョハセヨー」と人種を偽り適当に追い払ってた。

パタン博物館

仏教/ヒンドゥー教彫刻のコレクションがすばらしくて、これまでに見てきた世界の仏教彫刻の中でも、ここや国立博物館で観られるネパールの金彫刻が一番よかったと思う。豊かな着想を三次元に移し変えていく手捌きの見事さやディティールの細やかさがまずは目につくんだけど、それでいて、顔の造りがどことなく粗密で野性的なの。全体的に秘教っぽいテイストになってる。ゴールドと藍色の合わせ方や、金がくすんで陰りが出てる風合いなんかはマニア垂涎もの。


シャッター速度1/15とかで手持ちで撮っててブレてるから、大きくしちゃだめだよ。




写真撮影は別料金ね。
仏像マニアはもちろん、美術愛好家は必見だと思う。お金が足りなくてここのカタログ(Rs1300くらいする)が買えなかったことが、ネパールでの最大の心残りかな。

ゴールデンテンプル


チベット仏教における金閣寺のようなものなんだけど、まずツッコまなきゃならないのが、入り口に鎮座まします男女の狛犬
オス

メス

一枚目がちょっとセクハラっぽい構図になってしまったのは置いておくにしても、石っぽいテクスチャでまとめられている中、性器だけが異様にナマモノっぽい塗装になっていてなにを意図してるのか全然わからない…。
でも、中は無難にきれいだったよ。


写真には写ってないけど、仏像のすぐ脇ではお坊さんが猛烈な勢いでマントラを唱えてた。ここにも小さい子供が一杯住んでいて、幼い身から修行を積んでいるのかな…あちらこちらから、物珍しそうに来訪者を眺めてきてた。

元テロリストに一円あげた

帰りのタクシーで値切り交渉しまくっていたら、横で聞いてた別のタクシーが「その値段で乗せてやるよ」と申し出てきた。運賃が安い替わりに軍人二人と同乗させられたわけなんだけども、ちなみに、来る時のタクシーは運ちゃんの奥さんの送迎を兼ねてて、途中で車を停めてショッピング中の奥さんを携帯で呼んだりするわけ。あんまりだとは思うけど、ガソリン値上がりの影響か、ネパールではこんな風に同乗させられるケースが非常に多かった。
で、このカーキの軍服(たぶんマオイスト軍)の人が「世界中の一番安い硬貨を集めてるんだ」って言うもんだから、一円やったら大喜びしてた。

さよならガネーシャ

待ち合わせの時間にはなんとか間に合った。
タメルのファイアー&アイスという、本格イタリアンレストランで豪華なディナー。別れてから見聞きした出来事や、散々だまされまくった笑い話や、今後の観光予定のことなんかを話して大いに盛り上がった。ピッツァもビールもうまいんだよねー。
でも、なんか途中からツアー組まないかとか勧めてくるんだよね。しかも顔つきが必死。今はそんな話題やめてくれーとドン引きしてたら、「お金のことじゃないんです、そのほうがいいと思ったから」とよくわからない言い訳をしてきてテンションが下がりまくる。
メアドや電話番号を書いた紙をもらったよ。もしもう一度ネパールに行くことがあったら、連絡してみようとは思う。だけど、彼はこれからバスの運転手になろうと思ってるんだって。急激な開発によって今やアンナプルナの山奥にまで車道が通るようになり、これからトレッキングガイドの仕事は段々なくなっていくだろう、と彼は踏んでる。だからもしかしたら、次に会うときはガイドとしてじゃないかもしれないんだけど。
途中で旅行会社のリラとも電話をし、ツアーお安くするよーみたいな勧誘を受けた。彼らは誰とでもすぐトモダチになれるし人情をホント大切にするし、それはわかるんだけど、根底にあるのはお金のことばかりみたいで。けど、建前でもいいから人情が介在してないとどうしてもダメらしい。複雑なメンタリティだなあと思ったよ、ツアー断っちゃったけど。
勝手にしろボケと思いつつも、息子のソラくんの手前もあるし、飯はおごってあげた。

Kathmandu no nekafe ni imasu.

市の中心部には、ネットカフェが無数にある。エベレストビールで酔っ払いながら鉄くずの転がる怪しい中庭を抜け、自称CyberSpaceへ。ひさびさにtwitterしたらみんなが話しかけてきてくれて、ホンワカしたよ! 俺のイングリッシュ・スキルにみんなぶったまげているみたいだった。