神秘の国ネパールへ:第四回 「世界で最も美しい谷」で、ヤクにまみれる


5月17日 リムチェ

ミルクチャイを飲んで、簡単な朝食を済ませて早朝に出発。バックパックがあんまり重たいものだから、使わないものをホテルに預かってもらって軽くしたんだけど、それでもまだずっしり重く感じられる。


ちょっと増水しただけで水没してしまいそうな沢の道や、湿った落ち葉で滑りやすくなった急坂が続いてけして歩きやすくはない。そもそも山道を登るのが思ったよりも相当しんどいというか、肉体が想像を絶するほど衰えきっている。
カトマンドゥの時点ですでに高度1400メートルくらいあるんだけど、すでに2000メートルは越えていたはずだ。段々と手足の末端が痺れるようになり、動悸は激しく、深呼吸しても酸素が体内に取り込めなくなってきている感じ。ちなみに、通常の人類ならば高山病になるような高度では全くない。
途中からは、どれだけ休んでも全く回復しなくなってしまった。小雨が降ったり止んだりを繰り返し、建築用の資材や食料品を担いだポーターたちが追い越していくのを、ただぼーっと見つめているしかない。
三十分くらい休んでようやく歩き始めてみると、休憩していた地点からものの十五分くらいで目的地のロッジへと到着。知っていたなら何か言えよガネーシャ

ガネーシャの視点

当初はラマホテルに宿泊する予定だったんだけれども、雨で増水して川の音がうるさいということで、15分くらい手前のリムチェの村に。




ロッジは眺めのよい場所にあり、その名もガネーシャズ・ビューという。太陽光発電のパネル設置にガネーシャが関わったという経緯もあるらしく、宿を経営している一家とは普通に仲がいいようだ。冗談めかして「ガネーシャから名前を取ったんじゃないの?」と聞いてみたら、全力で否定されてしまったけれども。

ネパールの台所

お茶でも頂こうとして食堂に入ると、家のお婆さんが、こちらには全くお構いなしで編み物のとりこになっていたりする。ネパール家庭にそのまま招き入れられてしまったような感覚で、エキゾチック。そんな寛いだ雰囲気のロッジなんだけれども、電話はちゃんとあるし、シャワーもちゃんとお湯が出るし、壁にはアヴリル・ラヴィーンの切り抜きが貼られている。
宿には白人が大勢宿泊していて、初対面の者どうしの自己紹介が始まっていた。英語が話せない俺は、会話に入っていくことがどうしてもできない。「英語できないとつまんないね」などとこぼしつつ、ガネーシャと日本語でコミュニケーションをとり続ける。日本とネパールの文化の違いについて話したり、彼が知っている数少ない日本語の歌ということで一緒に『上を向いて歩こう』を歌ったりした。ガイドブックを見ながら色んな観光情報を教えてもらったり、楽しかったな。
ガネーシャは、日本の歌をいくつか歌うことができた。ツーリスト達が集うタメル地区で、日本人観光客が歌っているのを聞いて覚えたらしい。本当かな? だからガネーシャが知っているのは『Sukiyaki』ではなく、ちゃんと『上を向いて歩こう』だったりするんだけれども、覚え方がいい加減なもんだから途中から歌がでたらめになってしまう。
歌い終わったところで、一部始終を見ていた白人男性が「ヒューッ」と感心したように口笛を吹いた。人種を越えた友情? そういうような好奇のまなざしが向けられているのを感じ、なにやら面映い。もっとも、白人の女の子グループからは「私らの許可なく未開の言語で盛り上がってんじゃねえ、国際語を喋れ、この土民ども」というニュアンスの溜め息がこぼれ出た。ここはアジアの国なんだぜ、もうイギリスの保護国なんかじゃないよ。イングリッシュ・スピーカーどもなんて叩き出してやろうよガネーシャ
と、暖炉を囲んでいたオーナーさん一家が、弦楽器の演奏を始めた。バンジョーみたいな形をした楽器で音階は沖縄のそれに少し似ており、ピックを使ってアルペジオで弾いたり、コードを押さえたりすることもできる。外からは間断のない水音と暗闇が押し寄せてきており、ランプやストーブの明かりに小さく抱きとめられた台所で、弦楽器の調べにじっと耳を澄ませてた。

5月18日 ランタン

急坂は少なく歩きやすい道が続くが、前日の疲労が残っているし、100メートル下って1100メートル以上登るわけなので結構きつい。

カメラを自慢された

途中で白人女性に声をかけられ、何かと思えば、カメラの自慢だった。18倍ズームするOlympusの大きなコンデジで、$400くらいだと言ってたかな。


「あなたのカメラを見てもいい?」
「マイカメラ is ベリーチープ。ライブビューないネ。ズームできないデース」
「写真を見てもいいかしら」
「Sorry, I can speak english a little.」
「…撮った、写真を、見せてください」
「Ya ya OK. Wait a minute...」


「なにかしら、この写真」
「There is モンキー。Here here!」
「もっと寄れなかったの?」
「This is limit。ズームレンズ高いからねー」
「ありがとう、いいカメラね」
「サンクス!」
「…カメラは別に、悪くないみたい。
 じゃあね」
女は、白けた様子で去っていった。

道を塞ぐ牛たち

牧草地を移動する馬や牛たちの通り道となっているから、足元は糞で塗り固められていて、避けようとしても土壌全体に糞が混入しているので糞の混入率が低いところを選り分けて足を踏み入れてくしかない。

ところどころで牛たちが通せんぼをしていて、通れない。ガネーシャが「チッ! チッ!」と言いながら石を投げると、牛は蜘蛛の子を散らしたようにその場から去ってゆく。

ゴラタベラ

ゴラタベラのロッジに着いたのは、ちょうどお昼時。ここまではいいペースで来られている。ところが、昼食を食べ終わってのんびりたっぷりと休憩をとっていたら、滝のようなスコールに行く手を阻まれてしまった。
遠くの峯の頂上がみるみる白くなりはじめ、先ほどまでは暑かったというのに、急激に晩秋のような冷え込みに。雨とともに気温が下がるのは、冠雪した高山から冷たい空気が下ってくるためらしい。半袖だと凍え死んでしまいそうなので、慌ててバックパックからゴアテックスジャケットを取り出す。カトマンドゥで購入した、ノースフェイスのロゴが入った出所のあやしいブツだ。
ここの子供たちは、みなオリジナルソングを持っていて歌いながら暖炉に薪をくべたりしている。クールなガキどもだ。子供の時分から共同体で役割をになっているあたりが、ちょっと宮崎アニメっぽい。

ここの宿で、ガネーシャと同じぼったくり旅行会社に勤めているガイドと合流した。彼はガネーシャの友人らしい。するとどこから集まってきたのかネパール人の輪がみるみるできはじめ、雇い主たちをほっぽらかしにしてカードゲーム大会が始まってしまう。
ガネーシャ達からは、ここで一泊することを強く勧められた。確かにいい所ではあるんだけど、本来は六時間歩かなければならないところをまだ三時間程度しか歩いていないわけなので、こんな所で足止めを食っていたら予定が大幅に狂ってしまう。
手持ち無沙汰なので、この日の目的地であるランタンの方角を窓から眺めてばかりいた。

ランタンの高度は3500mを越えており、ランタン・コーラという谷川の流れを遡るようにして、ここから更に二時間以上登って行かなければならない。
とはいえ、猛烈な勢いで降り注いで短時間でやむのがスコール。一・二時間ほどでやんでくれて、本当に助かった。
「友達一杯いるし、ここにいたいんじゃないの?別に一泊していってもいいよ」
優しいのか嫌味なのか分からないことを言う俺に向かって、「いえ。仕事に友達のことは関係ないです」とガネーシャ。根っこのところでは明らかに自分のやりたいようにしか振舞っていないんだけども、彼のプロ意識に敬意くらいは払って見せてもいいかなぁと思うようになった。

涙目の老人

このロッジの近くで、生きて動いている本物のヤクを生まれて初めて見た。ヤクが高地でしか生きられない*1いっぽうで、牛は寒いところでは生きられず、気温にあわせて放牧民に連れられ山を登ったり下ったりしている。高度3000メートルを越えたこのあたりから、牛とヤクの比率が少しずつ入れ替わっていく感じ。

道行きでは、涙目のお爺さんから「わしの牛は、どこかのゥ…」と消え入りそうな声で尋ねられた。ちゃんと牛は見つけられたかな。こんなに落ち込んでいる老人は、あまり見たことがない。

ヤクのヨーグルト

ちょっとやんちゃな感じのお兄ちゃんに呼び止められ、ヤクのヨーグルトがあるよということなので、ハウマッチと問い質したんだけどけして値段を言おうとはしない。あんまり胡散臭いもんだから、値段を白状するまでは「じゃあ帰る」と言って絶対に入らなかった。80ルピー。
味は悪くないね。脂質が多くてこってりしているんだけど、酸味が強くてなんとも言えずくせになる。ぱらぱらと砂糖をかけて食べると物凄く美味しかった。

チベット系の人たちは、どうしてこんなに気持ちのいいところばかりを選んで建物を建てるんだろう。いちいち居心地がいいから、感心させられてしまう。

ランタンの村

いつの間にか、ガネーシャとは気軽に冗談が飛ばしあえるようになっていた。気兼ねがなくなって下ネタまでもが飛び出すようになり、一日に何回ファックできる?みたいな話でゲラゲラ笑いながら歩き、なんかもう、当たり前の友達みたいになっている。
ネパールの歌を教えてもらったり、一緒にチューリップの歌の替え歌をしたり、息子のソラ君(勝負事には、絶対に勝たないと気が済まないタイプ)の話を聞かせてもらったり。まだ結婚してないの?って聞かれたんだけど、19や20で結婚してしまうネパール人に、日本人の婚期の遅さ(俺のせいじゃなくて)を説明するのは一苦労だ。
「結婚しても、女の子買えるじゃないですか」といういまいちなアドバイスを頂く。

そしてランタン。


緑地が広がり、小川が流れ、放牧の馬やヤクが日がな一日牧草を食み続けている。まばらに点在している、ブロックでできた家々。

ロッジの部屋がまた最高で、村が一望でき、窓を開ければいつでもヤクの様子を窺うことができる。訪れるツーリストも少なく、物音がほとんどせず、ベッドに寝転がっているとヤクや馬やヤギたちの鳴き声に目を覚まさせられるという。テンションが上がりまくる。
「いいところに連れてきてくれたね!」と喜んでいたら、ガネーシャは照れてしまったらしく、帽子のツバを押し下げて顔を隠したりしている。
ロッジのすぐ側では、長老風の外見をした老人が「オンマニぺメフム・オーム」という真言を唱えながら、赤ちゃんのガラガラのような形状をしたマニ車をぐるぐる回していた。チベットとの境目となるこのあたりに住むのは、ほとんどがチベット仏教を信仰しているチベット系の住人だ。

5月19日 キャンジン・ゴンパ

朝になると雨が降っていて、窓を開けてもヤクがいない。理想郷のようなランタンに後ろ髪を引かれつつ、四時間ほどで宿泊地のキャンジン・ゴンパに到着。宿泊施設がある中では、ランタン谷で最奥の村となる。

途中で休憩した茶店。熱いミルクチャイをすすると、本当に疲れが取れる。

高度3840メートルということで、さすがに高山病にかかり始めているのか、頭がズキズキするし、少し坂を登っただけでも息が切れ切れとなってしまう。緑がほとんど育たない、彼岸の光景めいた岩ばかりの山道を口数も少なく登っていった。

キムシュン氷河

宿についてからストレッチをし、パブロンを飲んで一眠りしたらずいぶん体が軽くなってた。この日行かなければチャンスがないので、傘とペットボトルだけ携え、カメラを首にかけて単身キムシュン氷河に向かう。
ランタンもそうだけど、ここは村全体がカルカ(放牧地)みたいになってる。

キャンジン・ゴンパの村を見下ろしながら、道なき道を行く。あちこちに築かれているヤクの生活跡…というより、糞なんだけど、糞を避けたり踏んづけたり、目印にしながら進む。一応地図を見てるんだけど、目印となるようなものは、巨岩やヤクの糞くらいしかない。あちこちに群がっているヤクを、「チッ、チッ」と登山用のステッキで威嚇して道を開けてもらう感じ。
氷河を目前として、激しい霰に見舞われた。ジャケットのフードで顔面を覆っても、覆い切れない部分に霰が突き刺さってきて最悪だ。間抜けなことに、手袋をしてこなかった。白銀の峯々から吹き降ろしてきた冷気によって、見る間に手が痺れて感覚を失っていく。

正面には辛うじてキムシュン氷河が見えている。これ以上進むと遭難するかもしれないので、大人しく村に戻るしかない。

これが精一杯。
宿に戻ってからは、行程短縮のプランをガネーシャに話した。翌日にキャンジン・リを登って降りて、余裕があったらゴラタベラまで一気に下る。それが可能なら、その翌日にはシャブルベンシ、更にその翌日にはカトマンドゥに戻ることができるだろう。

*1:そのはずなんだけど、日本のサファリパークや一部の動物園でも姿を見ることができる模様