ゴッサムシティのタンカレーは、一種の賭けである

荻窪には、トマトというカレーとシチューのお店があるんですよ。
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtlmenu/13001113/
そこで俺は、『バーでタンカレーを頼んだらカレーが出てこなかった話』を友達にしてあげたんだけれども、もちろん俺だって、実際にバーでタンカレーを頼んだときには、カレーが出てくるだなんてつゆだに考えてやしなかったよ。

じゃあ、なんでタンカレー*1タンカレー*2を取り違えたようなふりをしたのかというと、作り話がつい口をついて出てきてしまったからで、これといった理由はないわけなんだけれども、あとから自分自身で加えた分析によると、混乱なんて生じようのないような状況に向かってあえて混乱の可能性を突きつけることで、俺はコードの自明性が崩れていくさまを眺めて密かにほくそ笑んでいたのだという事実が明らかになった。文明社会のあやふやな前提を暴露し、そんな曖昧なものを信奉する連中や、サラリーマンどもをあざ笑いたかったんだと思う。
しかしそれは、破滅へと続く道程だった。あのときはまだ、すべてのカレー屋さんやバーが機能不全に陥る可能性にまでは俺の想像力は及んでいなかったのだ…。

すべてのバーとカレー屋で

考えてもみてほしい。あのときの俺みたいな非協力的な人間が一定の割合を越え、タンカレーにまつわるコードの自明性が壊れたとする。すると、”タンカレー”とだけメニューに書いてあった場合に、わざとジンのつもりでタンカレーを頼んで「このバカたれが、俺はジンを頼んだんだ、金返せ、メニューにちゃんと明記しておかないのが悪いだろうが…!」とカレー屋さんにクレームをつけることが可能になってしまうのではないだろうか。
そんなばかなことをするヤツはいない!と反論したい向きもあるだろうけど、変な人というのは、いるところにはいるものだ。あるいは逆に、あえて軒先の黒板にタンカレー¥1500と書いておいて、それを目当てに来たお客さんにグラス一杯のジンを振舞って大儲けするカレー屋さんが姿を表しはじめるかもしれない…。
それに対抗するためには、メニューのところに、(ジンではありません。トロトロに煮込んだ牛タン入りのカレーです)とか(Curryではありません。タンカレーという銘柄のジンです。ジンというのは、大麦、ライ麦、ジャガイモなどを原料とした蒸留酒です@wikipedia)と括弧書きをしておけば誤解の可能性は激減するし、クレームやインチキ商売は困難になるけれども、それではいかにもやりにくいし、それが大前提だなんていう社会では、そこで暮らしてる自分自身が嫌になると思う。

クリストファー・ノーランの『ダークナイト』を観ていた俺は、悪役ジョーカーの振る舞いを見るにつけ、彼がやりたいのは、ゴッサムシティをそんなような中学生どうしの小競り合いレベルの混沌に陥れることなのだなあ、ということを嫌というほど痛感せざるを得なかった。1つの前提が共有できなくなるだけで、ゆるやかにうまく折り合いがついていたはずの物事が、機能不全を起こして立ち行かなくなりはじめる。正義が共有できなくなったゴッサム警察には汚職がはびこり、タンカレーにまつわる通念が共有できなくなったすべてのバーやカレー屋では、タンカレーを巡ってのトラブルが毎晩のように発生。そんな世の中は、ごめんだね。
俺は自問自答を繰り返す。あのときの俺は、まるでジョーカーではなかったか。あるコンテクストのなかで流通しているコードは、複数人で”あたり前の前提”を共有することにより機能しはじめる。その前提を嬉々として破壊しようとした俺は、まるで、悪魔のような笑みを浮かべたジョーカーそのものではなかったか…。

上のエントリーとは関係ないけど

今朝がた、ふとした思い付きからid:wonderpopというサブアカを取得して日記をつけてみました。今のところ大好きなラッセンの絵やレア社が開発したビデオゲームの画像が貼ってあるだけですが、こちらもどうぞよろしく。

*1:ジンの銘柄

*2:牛タンが入ったカレー